戦国時代の末期から銀や銅を産出していた治田鉱山跡。
鉱石を採掘する為に掘られた坑道、「間歩」に由来するという説がある「まんぼ」。
いなべ市の2つの文化財をテーマにした講座が開かれました。
これは、いなべ市観光協会内のいなべ市文化財活用事業推進委員会の主催です。
「治田鉱山跡」についての講師を務めたのは、菰野町文化財調査委員の稲垣勝義さんです。
稲垣さんは、
北勢町治田に残る古文書に記されていた治田鉱山の経営形態や
山師が鉱山開発で行っていた手続きなどについて解説しました。
治田鉱山は、17世紀後半の元禄時代に最盛期を迎えていて、
元禄3年には、およそ202トンの銅を産出していました。
また、1700年以降、新町や別名などでなる治田郷が経営を請け負っていました。
村が鉱山を経営するのは、非常に珍しいことだったそうです。
この他、市内に残る治田鉱山の名残が紹介されました。
「まんぼ」について講演したのは、
名古屋商科大学非常勤講師の筒井正さんです。
まんぼとは、灌漑用の横井戸のことで、
国内では山形県から九州まで広く分布しているそうです。
筒井さんは、1985年にマンボ・カナート研究会の一員としてまんぼの調査・研究をしています。
当時、北勢町で33、大安町で58のマンボを確認したということでした。
筒井さんは、水の恵みをテーマに
川から水を引くことが困難な扇状地におけるまんぼの歴史などを説明していました。
フィールドワークでは、大安町片樋のまんぼを見学しました。
片樋のまんぼは、江戸時代後期に作られました。
長さはおよそ1キロで現在もおよそ8ヘクタールの田を潤しています。
主催したいなべ市文化財活用事業推進委員会の関係者は、
講座を通して学びを深めるだけでなく、語り部としても活動してもらえたらと話していました。