24日、ジェフリー鈴鹿で、鈴鹿海軍工廠で働いていた赤尾藤二さんが講演しました。
これは、「鈴鹿市の戦争遺跡を保存・平和利用する市民の会」が主催したものです。
現在97歳の赤尾さんは、
1943年4月に豊川海軍工廠の機銃部に配属され、船などに搭載する銃の部品を製造していました。
翌年5月には鈴鹿海軍工廠に転勤。同じく機銃部で主要部品の製造を担当しました。
終戦の日は工場の一部を疎開させた関町防空工場で迎えたと言い、その時の様子を語りました。
赤尾さんは、去年11月に豊川海軍工廠の跡地を訪れました。
空襲により工場で働いた人の多くが犠牲になっていたことを知り、
改めて自分の経験を後世に伝えていきたいと、今回初めて当時のことを話す機会を持ちました。
講演後の質問では、今の若い人に伝えたいことを聞かれ「戦争はやってはいけない」と力強く訴えていました。